その日は、マネージャーからのモーニングコールで起こされた。


昨日は時差ボケで眠れず、やっとウトウトし始めた頃にコールが入った。
まだ、ボーっとしている頭のまま受話器を取り、嫌々ベッドから這い出る。
頭が重く身体もだるい。


それでも、こちらの事など関係なく、仕事は容赦なく予定された時間から始まる。
シャワーを浴びて無理矢理に目を覚ます。

出掛ける準備をしている時にルームサービスで朝食が運ばれて来たが、食欲などまるで無い。
俺はコーヒーをブラックのまま流し込んだ。
胃が何かで捕まれたようにキリキリと痛み、思わず顔をしかめた。
無論、朝食には手を付けずに部屋を出た。


「おはようございます」

スタジオに俺の声が響いただけで、返事は返ってこない。


バンドの連中がいることにはいるが、チラと俺の顔を見ただけで、
すぐに自分の手元にある楽器に視線を戻した。
バンドの連中は俺よりも何日か前にこちらに来ていて、既に音入れを始めている。


ミュージシャンと呼ばれている連中はプライドが高く、変にインテリぶっている奴が多くて 俺の好きな人種ではない。

でも、まぁ、そんな奴ばかりでもないし…と思い直して周りの連中の様子を伺ってはみたが、
思いは変わらなかった。
仕事に必要な事以外は口にせず、みんな、自分ひとりで別々の仕事をしているように感じる。
お互いに敬遠しあっているようにさえ見えるくらいだ。
バンドに必要な連帯感なんてものは、ここでは存在しないようだ。


そんな連中の事だから、仕事だと割り切ってはいても腹の中では
『なんで俺がこんなアイドルあがりのバックなんだよ』ぐらいの事は思っているだろう。
中にはその思いをあからさまに顔に出している奴もいる。

俺だって『仕事じゃなかったら誰がお前らなんかと…』とは思っているが。

しかし、この仕事に関しては奴らの方が先輩になるわけで、
教えて貰う事も多く、何よりも機嫌を損ねられると面倒なので一応、ひとりひとりに頭を下げて回る。
それでも俺の顔をまともに見ようとはしない。


そこに、奥の部屋から外人にしては小柄な男が出てきた。

「隆史、ちょっと…」

マネージャーが俺を呼んでいる。


「こいつが今度お世話になる葛城隆史です。初めてのレコーディングなんで、宜しくお願いします」
その男は笑顔で握手を求めてきた。

俺もその男が誰かも解らないまま、つられて笑顔で握手を返した。
男は大袈裟なほど俺の手を上下にゆすりながら、早口な英語で何か言っている。

日常会話ぐらいだったら何とかなるが、早口で英語を喋られるとまるで解らない。
隣にいたマネージャーが「この男はプロデューサーだ」と教えてくれた。
見た目は何処にでもいる普通のオヤジのようだが、
この業界では知らない人はいないくらい有名なプロデューサーらしいが、
洋楽を聴かない俺には名前を言われてもピンとこない。

その有能プロデューサーはヴォイス・トレーナーを紹介してくれ、
すぐにトレーニングが始まった。

トレーニングといっても時間が無いため、
ヴォーカル録りが出来るくらいに声が出せるようにする程度のものだ。

小学校の音楽の授業のようにピアノの音に合わせて声を出す。
慣れない事で肩に力が入ってしまい、いくら声を出してみても硬い、掠れた声しか出ず、
思うような声は出ない。
喉の奥が熱い。

何をアドバイスしても上手くならない俺に、
ヴォイス・トレーナーはすでに諦めを表している。
そんな状態でも時間になればレコーディングは始まる。
曲はデモ状態のものを日本にいた時に聴いていたので、感じとしては何となくつかめている。
だが、いざ始まってみるとバックの音を聴いている余裕はなく、
自分が声を出すことで精一杯だ。


相変わらず俺は、硬い掠れた声しか出ない。


それでも、作業にも慣れてきて何テイクか録り終え、
自分では少しは上手く歌えるようになった気分でいた。

…が、実際に自分が歌っているものを聴いてみると、想像以上に下手な歌が聴こえて来る。

コーラスの奴の方が遥かに上手いという事は誰にでも解る。
少しはヤル気が出てきていた俺もさすがに冷めてしまった。


次の日からは、一曲につきあらかじめ何テイクか録り、
それをミキシングして曲を仕上げるという機械的な流れ作業に変わった。

そのお陰で…と自分で言うのもシャクだが、
俺の作業時間が短縮され、飲みに行く事が出来るほどの時間が出来た。



その日、仕事に区切りがついた頃には二十二時を回っていたが、
飲みに行くには丁度いい時間だった。



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